【書評】渋沢栄一 自伝

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岩崎弥太郎のライバルで幕末、明治初期の実業家

というくらいの認識しかなかった渋沢栄一。

 

twitterで次の10,000円札になるということで気になって自伝を読んでみるとかなり面白かったし、素晴らしい生き様であったので書評と忘備録の様なものをしたためるに至った。

少年期

農家に生まれる。論語をはじめ、諸子百家といった中国古典や日本の歴史書、三国志演義の様な小説を師の教えもあり乱読して育った。

12~13歳ころから家業を手伝い藍などの栽培、買い付け、加工、販売を担う。

のちに実業界で大成したのはこのころに商売の勘所を身に着けたからなのかもしれない。

勘当

父親の名代として年貢を納めに行った際に幕臣の腐敗を感じる。

巷で幕府の悪評を耳にすることもあってか、徳川の政治は終わらせねばならないと思うようになる。

20歳ころ、従兄や友人と武装蜂起を企図し父親に申し出て勘当に至る。

 

蜂起は思いとどまったが、幕府の嫌疑を避けて従兄と京都へ身を隠す。

一橋家に仕える

京都でのあてもなく、経済的にも困窮していた時に一橋家で仕事をするようになる。

倒幕を目論んだ者が幕府に仕えることになるのだから因果なものだ。

主には会計まわり仕事をしていた。

仕事の傍ら、志を同じくする志士たちとの交流も深めている。

西郷隆盛とも仲が良かったようで何度か食事をしたようだ。

新選組とともに仕事をしたこともあったようで、近藤勇に度胸を感心されたりしたようだ。

仕事の腕もたち、頭も切れたから当主の覚えもよかったようだ。

仕えていた一橋慶喜が将軍になってからは慶喜の弟の民部公子とともにフランスに留学する。

フランス留学

民部公子のサポートとしてフランスに赴いた渋沢は持ち前の頭の切れで民部公子からの絶大な信頼を得る。

 

洋行中には債権のシステムや、軍人と商人が対等に議論しているところに感心したようだ。

元々は幕府の役に立つ技術や知識を身に着けて帰国する予定だったが、大政奉還があり、ある種日本からの賓客という扱いは受けられないので帰国を余儀なくされる。

この際、買ってあった鉄道の再建でいくらか儲けたことで、日本での債権の必要性を強く持ったようだ。

官僚時代

帰国後は慶喜公がいる静岡の地で静かに暮らすということで、静岡で銀行と商社のような事業を興して励んでいた。

突然、強制で明治政府から召集され、大蔵省で働くことになる。

大蔵省では貨幣の改革、度量衡の統一などに励んだ。

この時には、大隈重信、伊藤博文、大久保利通らとともに仕事をしていたようだ。

 

かねてから、実業界への思いが強く、大蔵省との折り合いも悪くなり辞職した。

実業家として

官僚を辞職後は、かねてから作りたかった国内初の銀行を作る。

次には国内初の証券取引場を作る。

次いで、保険、製紙業、水道事業、人口肥料事業……

と、それまでの日本にはなかった様々な事業を海外から導入してその発展に大いに寄与した。

どれをとっても直接的または間接的に現代に生きる我々の生活を支えている事業ばかりだ。

日本の諸産業の父といってもいいのかもしれない。

あらゆる業界を作り出して活躍した。

 

我もまたそのようにあらん

 

そう思える、尊敬できる偉大な先人でした。

これからは10,000円札見るたびに畏敬の念を抱くんだろうな。

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