『空の境界』を文学としてまじめに考えてみた

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ぶっちゃけ、大学の講義で日本文学に関して文学的側面から論ぜよ。みたいなレポートが出たんで、『空の境界』をチョイスしました。

 

評定はC(5段階中3番目)だった(笑)

自分の黒歴史も晒してしまう……

本文

取扱著作:『空の境界』上中下巻

著者:奈須きのこ

発表媒体:講談社文庫

発表年月日:2007年11月15日、12月14日、2008年1月16日

 

 

テーマについて

空の境界はフィクションであり、ストーリー全体を通じてのテーマは「死」だと考える。殺人衝動を持ち自分が異常者であると認める式。それでいて、高校の同級生であり平凡な、陽だまりの様な人間の黒桐幹也の生き様をユメみた。式は様々な形で死または生を感じ、殺人を働く異常者と出会い、時には争う。様々な異常者たちと事件に触れる式を通じて私は「死」というものの多様な側面を考えさせられた。著者の奈須きのこの意図したメッセージもおおむね近いものではないかと考える。

 

登場人物や舞台

一応、世紀末の日本が舞台になっている。魔術が存在する世界であることが特筆点といえる。物語の中で重要なのは”根源の渦”という存在。森羅万象の源であり、あらゆる事象の大元の原因である。根源の渦に到達すれば過去から未来に渡って全てを知ることができる。すべての魔術師は根源の渦を求める。作中では根源の渦を求める荒耶宗連という魔術師があらゆる事件の引き金となっている。

 

 

 

内容について

端的に言えば、普通の人間とは違った異常者である式が黒桐幹也という人間の在り方に惹かれユメをみる。様々な事件を通じて、ついには黒桐幹也と同じように生きていけるようになってゆくというもの。

式はもともと二つの人格を持っていた。交通事故を機に片方の人格を失った。二年間の昏睡と人格の一つの喪失で事故以前の記憶は残っているものの知識のように感じられ生きている実感を失う。また、人格の一方を失って昏睡から覚めるとあらゆるものの壊れやすい箇所が視えるようになり、混乱を深めもした。魔術師の蒼崎橙子の助けで一応立ち直り、彼女の手伝いをするようになるところから物語は始まる。

 

各話について

時系列は前後するが、作品の掲載順に各話内容面での役割を考えた。ちなみに時系列順に並べれば、

  1. 殺人考察・前
  2. 伽藍の洞
  3. 痛覚残留
  4. 俯瞰風景
  5. 矛盾螺旋
  6. 忘却録音
  7. 殺人考察・後
  8. 空の境界

となっている。全部を読み切ってから振り返ると、嵩増しのために何となく書いたような話はなく、各話に役割があったように思う。以下に役割や自分が読者として受けた印象を並べている。

 

 

 

俯瞰風景

巫条霧絵という異常者をもとに、死に関する一側面を提示する。巫条霧絵はいつ死ぬかわからない病にかかっていた。死ぬことで生を感じる。つまり、死をもって自分は生きていたということを―死んでいなかった―ことを実感するという在り方。

今後も物語では様々な死や生の在り方に触れるが、最初に生とは、生きているという実感とは何なのかという問いかけの役割にもなっていたと思う。自分はすぐに出せる答えを持ち合わせていなかったのでその問いかけが心に引っかかったまま読んでいった。

 

殺人考察・前

式が事故に遭う前の話。同級生だった黒桐幹也とのなれそめも同時に書かれる。一番のポイントは事故前の式について。かつての式は織という男性の人格と式という女性の人格の二つからなっていたことを明かす役割。式が肯定、織が否定の役割を有した。また、織は出会うものすべてに殺意を持ち、殺人鬼であるという告白が幹也にされる。

 

痛覚残留

浅上藤乃という異能者で異常者を軸に物語が展開する。藤乃は視認したものを捻じ曲げる力を持ち、殺人を繰り返す。藤乃は死に触れることで快楽を得た。痛覚がなかったために外界からの感情を受け止められなかった。人を殺して、痛がる過程と優越感で生を実感していた。

藤乃との戦闘を通じて式が自身の生の実感の原因を悟るという点も痛覚残留の役割の一つと考えている。式は殺し合いによって死に寄り添って、死に抗うことでのみ生の実感を得ているという本質を式と共に読者が理解するための役割も担った。

 

伽藍の洞

昏睡から覚めた直後に直死の魔眼に困惑し、自殺しようとしていた式が立ち直る過程をつづった。

両儀式は事故をきっかけに織を失い、今まで彼が担っていた感情や記憶の欠落感から、今の様に生の実感の持てない感情を持てない式になったことを伝える役割をもっていた話。

ガランドウの心を幹也といることで埋められると感じているという方向性も示された。

 

矛盾螺旋

これまでの事件のすべての黒幕、荒耶宗連が登場する。そして荒耶宗連の悲願の全貌が明らかになり、読者はそれを吟味することになる。これまでの事件の意図と、荒耶宗連の理想が描かれる。

忘却録音

世界の記憶、他者の記憶を探る力を持つゴドーワード・メイデイとの戦いが軸になる。戦いを通じて、式は織の死と共に失ったと思っていた願望を思い出す。織がユメみた”幹也の様な平凡な生き方”を。

 

殺人考察

事故前の連続殺人の犯人の真犯人が発覚する。織はあらゆるものに殺意を持ったが何も殺していなかった。白純里緒の事件を通じ、彼を殺してしまったことを契機に幹也と共に”平凡な”人生を式が歩み始める。

 

内容面まとめ

本作は荒耶宗連が理想を求め夢半ばで倒れるまでと彼の死後、式が異常者から脱し、夢にまで見た平凡な暮らしを得ていくという二つに大別できると思う。

荒耶宗連は人間の醜悪さを憎んだ。また、無価値に死んでゆく者たちに心を痛めた。その末に根源を求めて人類を根絶やしにすることを欲した。人間が消え去ればその醜悪さも消え去る。すべての人間が死ねば、個々人の死について、それがどんな形であれ評価することができる。無意味に生きた人間がいなかったと示せる。だから荒耶宗連は根源の渦を求め続けた。

荒耶宗連の理想の原点、動機は共感しうるものがある。しかし霊長の意にそぐわず、荒耶宗連の理想が果たされることはなかった。荒耶宗連という人物を自分はアドルフ・ヒトラーに重ねていた。第一次世界大戦後のドイツで不況や戦勝国による理不尽な処遇を目の当たりにしてドイツ人の救済を願ったヒトラー。ユダヤ人の虐殺など現在では悪行ばかりが注目されるが、ドイツ人がヒトラーの言葉や演説で生きる希望を持てたドイツ人が何人もいるという事実もまた見過ごせない。空の境界でいうなら式や橙子が善なのか。ナチス期のドイツであれば、連合国は善だったかというとそうでもない。荒耶宗連という人物はすべてが白黒はっきりしているものでもないという問いかけの意図もあったのかな。と思っている。

荒耶宗連の死後、織がかつて夢見た”陽だまりの様な”生き方を式が体現していって物語は終わってゆく。

形式

 

ぐちゃぐちゃの時系列

先に書いた通り、この作品は荒耶宗連との決着まで、時系列が行ったり来たりする。しかし、役割から見れば一般的な物語と同じ順だったように思える。一般的な物語では初めに、登場人物の紹介、主人公の性格や行動基準などが明かされる。次に主人公の性格や意思決定の原因となる過去の出来事などが紹介される。そしてある事件で追い込まれた主人公がこれまでとは違う新たな決断をし、成長を見せる。という筋書きが多い。空の境界でも掲載順にこれらの役割が全うされていると思う。

 

特異な人物紹介

人物紹介をする際、蒼崎橙子は二十代後半の女性で医者をやっている。彼女は実は魔術師であり人形使いを得意とする。といった具合の説明はなく、幹也と橙子、式しかいない場面において前触れなくいきなり蒼崎橙子の主語は人形師や魔術師へと転換していき読者に蒼崎橙子という人物の紹介を段階的に済ませていっている。(~p三八)ちなみに後程、医者でもあったり設計士であることも判明する。

黒桐幹也の妹、鮮花については最初、「鮮(いも)花(うと)」であり次は「鮮(あざ)花(か)」というルビの振り方で紹介がなされている。物語のかなり後半に登場する黒桐鮮花の紹介を幹也と式の全く関係ない会話の途中のこの二語で序盤に済ませている。

 

同語反復

一般的な語としてやや抽象的な言葉の意味を作中の意図に合わせて限定する際に同語が反復される傾向にある。一行ごとの極端な反復で印象付けと作中における低位付けが同時にされる。例(p三二 遺書p四〇 衝動)

 

同音異字により移動を示す。

痛覚残留では、巫条霧絵の力が及ぶ範囲において時の流れが異なり、遅れているという設定だった。式が巫条霧絵のいるマンションに踏み入った際、

―暗い(くらい)闇が昏(くら)い闇へとすり替わる

という表現がされ、異空間に入ったことが表現されている。

 

 

映画版との違い

空の境界は映画化されている。原作を読んだのちに映画版も視聴してみた。空の境界は先に挙げた、序盤にルビや同語反復、主語の転換などによる情報で登場人物の紹介や、作中での言葉の定義、微妙なニュアンスを文章で表現していた。映画版ではそのまま放送されており、アクションやバトルを中心とした作品にすることでごまかしているように感じられた。

映画版との最大の違いは式と織という二人のシキが出てくる殺人考察・前だった。原作では文字による判別が可能だったが映画では声色の変化でしか違いを感じられない。地の文による式と織の描写は犠牲になっていた感がある。

 

根源に関する表記

作中でキーワードの一つにもなる根源。根源は人によって異なる。荒耶の根源は「静止」で白純の根源は「食べる」。式の根源は「虚無」だ。地の文では虚無とか空とか直接書かれるが、荒耶の発言においては「 」という表記がほとんど。だから何だということかもしれないが、虚無という言葉の何もないとかそういった意味を文字以上に表す使い方で非常に良かったと思う。また、序盤では文字が伏せられているのかと私は思い、ミスリードもされたので後から印象に残る表現の仕方だったな。と思う。映画にて「 」が虚無と発音されてしまうことがもったいない。虚無という言葉と「 」の微妙な作中のニュアンスの違いが死んでしまったように感じられた。別に、作品理解には問題はないが、もったいないなあと思わずにいられなかった。

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