プチ雑学。インカ帝国の社会構造とスペインによる征服

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Introduction

インカ帝国って、世界史の教科書とかで大航海時代の章に

「1533年、ピサロがインカ帝国を滅ぼした」

くらいの分量で1行で終わりますよね。

多くの人はアステカ帝国と混同したり、征服者はコルテスかピサロかどっちだっけ?とわからなくなり、結果的に文化史の様に「アステカはコルテス、インカはピサロ」と単語だけ覚えることになるのです。

しかし、覚えなくてもいいのでインカ帝国やアステカ帝国についてもっと深く知っておけば呪文のように単語だけ覚えなくても記憶に残りますし、論述問題でよく問われるエンコミエンダ制の背景がよく理解できます。大航海時代の主役となったスペインについて体系的に知る足掛かりとなります。インカ帝国にフォーカスしてみようと思います。

知ってると、なにかのひょうしに話のネタになっていいかもしれません(雑学的な意味で)。割と面白いんですよ。

インカ帝国史略

コルテスがアステカ帝国を滅ぼした。アステカ帝国を支配する中でスペイン人は「南方にエルドラド(黄金卿)が存在する」という噂を耳にした。そして南下を試みた。

1532年:フランシスコ=ピサロがインカ皇帝のアタワルパを捕縛、幽閉し、インカ帝国に身代金を要求した。

1533年:徐々に身代金が滞ってきたために7月、スペインはアタワルパを処刑。同年11月に首都クスコに入城(事実上のインカ帝国崩壊)。

ちなみにこの征服はわずか160人ほどで達成されたらしい。石文明であった先住民に対し、コンキスタドーレスは鋭利な金属製の武器を有していたこと、新大陸にはいなかった馬の機動力が勝利の要因といわれる。また、当時のインカ帝国にはアタワルパのほかにワスカルという皇帝もおり、政治的に混乱していたこともあった。

インカ帝国の社会構造

インカ帝国に主に3種類に分割されます。

  • インカ(皇帝)
  • クラカ(首長)
  • アイユ(共同体)

この3階級からなっているのですが、大きな特徴は

非市場経済(≒物々交換/お金が存在しない)

ということです。

その中での集団生活では互酬制ミタ制に支えられていました。

互酬制

対等な個人または集団間の取引。

アイユ内ではとうもろこしとじゃがいもや干し肉などを交換していた。

インカ帝国は現在のペルーやボリビアあたりに位置しました。急峻な山岳地帯で標高差が大きいのが特徴です。その中で標高の低いところではとうもろこし、標高の高いところではじゃがいもを作って主食としていました。

ミタ制

インカはハトゥンルナ(家族単位の納税責任者)を任意の人数だけアイユから募り、道路や宿の設置などの公共事業を行った。ハトゥンルナは毎年後退してゆくため輪番制とも言われる。

また、ハトゥンルナのいるアイユには借り出されたハトゥンルナの分の労働力が1年間欠けてしまうので代わりに食料などを支給されていた。

社会構造の変容

ピサロによる征服以後、コンキスタドールの支配がはじまるとこの社会構造は変容していきます。

階級の変化

先ほどの書いたインカ帝国の階級は、

  • インカ(皇帝)→コンキスタドール(スペイン人)
  • クラカ(首長)→クラカ
  • アイユ(共同体)→アイユ

という形態になります。つまり、最上位のインカがコンキスタドールに変わっただけで既存の風習を残しました。インカ→国王ではなく、インカ→コンキスタドールというのがみそです。

エンコミエンダ制

新大陸の統治は国王での統治は困難です。君主の意向を伝達したりすることを考えてもわかると思います。船で何日もかかるわけですし、新大陸に君主が赴き威光を示すのも現実的ではありません(距離的にも)。

そこで、新大陸における植民地の統治は入植者に王室が委託することでなされました。この仕組みがエンコミエンダ制と呼ばれます。

王室はエンコメンデーロ(スペイン人入植者)に対し、インディオの教化(カトリックやスペイン語)、及び監督(反乱など起こさないように)を委託する。また、王室はエンコメンデーロがインディオに対し労働や貢納品の強要する事を認めた。
↑大学入試でよく聞かれるやつです。これを読んでいるあなたが受験生なら
  1. インディオの教化と監督
  2. 労働や貢納品を強要する権限(実質のインディオの奴隷化)

この2ポイントが大事です。

しかし、上に挙げた貢納品や労働の強要が後にポトシ銀山などでの過酷な労働につながってしまいます。

こうした植民地の苛烈な支配環境のためにエンコミエンダ制にも定められていたカトリックの布教が行えていませんでした。

それを憂えたラス・カサス神父は時の君主であったカルロス1世に『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を奏上しエンコメンデーロの残虐行為とエンコミエンダ制の廃止を訴えた。(カルロス1世も制度の見直しを試みたが反対意見が大きく廃止には至らなかった)

ラスカサスがエンコミエンダ制の廃止を訴えていた時の国王はハプスブルク家の最盛期を飾ったカルロス1世。神聖ローマ帝国ではカルロス5世として有名ですね。カルロス1世がエンコミエンダ制の見直しを検討している裏では(時期がずれてはいますが)、フランソワ1世とイタリア戦争をしていたり、スレイマン1世率いるオスマン帝国のウィーン包囲を耐えしのいだり、ルターに端を発した宗教改革が起こりそれがアウクスブルクの宗教和議で一応の解決を迎え、領邦協会制が成立したんだなぁ。そんな風に思いを馳せると面白くないですか?

おわりに

どうですか?普通に高校で習うレベルでは三行半程度であっさり書かれているだけの内容もここまで掘り下げれば話の筋というかその歴史の必然性がわかって理解スッキリ理解できたのではないでしょうか?僕は教科書などで圧縮されて書かれなかった行間を解体してから、きれいにまとめられた教科書を吟味しなおすことが好きで楽しみも見いだせると思うのです。また、有機的に理解をした事柄なので一番大事な”歴史の筋”は忘れません。僕は東大の世界史で40点以上(7割程度)取ったり(落ちましたが笑)、東大模試での偏差値が70を超えていました(落ちたんですけどね)。後から振り返るとこういう理解の仕方をしていたことが大きな要因ではないかと思っています。マクロ→ミクロ→マクロという視点の切り替えが勉強の正道であり王道だと思います。解体→分析→再構築/体系化これを自分で行うに限ります。今回の内容はかなりマニアックな内容になっています。でも、へえーそうだったんだ。と気に入ってくれるといいな。なんてちょっぴり思ったりしています。

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